後援会カラオケ大会

21日、森ゆき子市議と英賀保駅宣伝からスタート。その後、居住地党員会議へ。午後からは、飾磨、城南、阿保方面で街頭宣伝、「衆議院選挙は共産党に入れたよ」と寄ってきてくださる方や、ベランダからは拍手も・・。以前、先輩党員から「街頭宣伝で支持が広がると思うのは10年早い」と、言われた事を思い出しながら1回1回の演説を丁寧に力一杯訴えています。

夜は、東部の村原地域で後援会の集いがあるというので行ってみるとなんとカラオケ大会・・。私にとってカラオケは10年ぶりくらい・・。とにかく音痴なので人前で唄うのはどうも苦手です。「入江君そんなことないやろ・・」と言われ、いつもマイクを回され1曲唄うのですが、1曲唄った後は皆さん私を気の毒がってその後はマイクが回ってきません・・。今日も、こんなん唄ってたら票減るわ・・と思いながら1曲・・。今日のカラオケ大会には60代の夫婦の方も参加されていたのですが、夫婦でデュエットはするわ、「リハビリ、リハビリ・・」と言いながら一緒に踊るわご主人は奥さんに受けようと思って必死になってギャグ言うわでとても仲睦まじい光景を見させて頂きました。私の両親は布団を並べては寝ていましたが、父は寝る前に布団に入って照明スタンドの灯りで必ず本を読む習慣があったので、母はその灯りが眩しかったのでしょう・・常に父の顔側には母の足が、母の顔側には父の足があり、いつも逆さになって寝ていました・・。●●さん夫妻いつまでも仲睦まじく。

村原もりやすさんと街頭宣伝

20日、苦瓜かずしげさんらとJR網干駅の早朝宣伝からスタート。その後、第3回日本共産党中央委員会総会視聴後、村原もりやすさんらと飾東、花田、野里方面を街頭宣伝。底冷えのするような寒い1日でしたが、街頭宣伝をしているとベランダに出て聞いてくれる方、外まで出て来てくれる方、立ち止まって耳を傾けてくれる方など全有権者規模の宣伝活動の意義とそれに対する反応によって改めて党への期待の高まりをひしひしと感じます。同時に、じっくりと聞いてくれる方に対し情勢に見合った正確で論理的な筋道の通った演説が求められます。今日開催された3中総なども参考にしながら演説内容を日々更新しながら組み立てて行きたいと思います。

花田市営住宅前で演説する村原もりやすさん

街宣後、宣伝車で杉本ちさと事務所へ行くと「そんなおもちゃみたいなスピーカーで県会は闘えへんぞ」と、重鎮の党員の方から・・「ちょっと2階へ上がってみろ」と言われ2階へ上がってみると度肝を抜かれる直径50cmもあるような円筒型の超大型スピーカーが4個転がっていました・・。「これはデカすぎるにしても、わしとこにもう少し小ぶりのスピーカーとアンプがあるからそれを取り付けたる」と・・。ありがたい事です。後で聞くと、昔は党中央から音では絶対に負けるなという指示があり各街宣車に500wアンプを積載していたとの事です。重鎮党員らの若かりし日々の党活動の躍動感が伝わってくるような超巨大スピーカーでした・・。ちなみに今の私の宣伝車は60w・・言われるように500wに比べるとおもちゃみたいな物です・・。街宣内容、宣伝車共に日々パワーアップしていきます。皆さんいつもありがとうございます。

谷川まゆみ市議と城北・書写方面で街頭宣伝

19日、谷川まゆみ市議と支部のメンバーら総勢6名で午前は城北地域、午後は書写方面で街頭宣伝を行いました。寒い中での街頭宣伝でしたが、演説中に支部の皆さんが周辺にビラを配布をしてくださり1日で持っていたビラ1000枚がすぐに無くなってしまいました。支部の皆さん寒い中本当にありがとうございました。家に帰って携帯を見ると支部の方から私の街宣内容に対するコメントがメールで届いていました。外で演説をする者のにとって、聞き手がどのように受け取るかは何よりも大事なことであって本番前の街宣に対するコメントは大変有り難いのです。そして何よりもそれだけ真剣になって支えて下さっている方々に感謝の気持ちでいっぱいです。皆さんの期待に十分にお応えできるよう本番まで全力で訴えぬきます。

書写市営住宅前で訴える谷川まゆみ市議

阪神淡路大震災から20年

 昨日17日で阪神淡路大震災から20年目を迎えました。震災で肉親を亡くされた遺族の方々に改めてお悔やみを申し上げます。大震災で肉親を亡くし住まいを奪われた人たちの傷は、いまだ癒やされていません。借り上げ復興公営住宅からの追い出し、災害援護資金の返済問題など、新たな問題が次つぎ起きています。この20年にも、新潟県中越や能登半島沖での地震や東日本大震災などが続きました。国民が安心して暮らせるよう、被災者に寄り添い支援を続けることが不可欠です。自然の災害は防げなくても、政治の力で被害を減らすことはできます。大震災から20年、被災者に寄り添い、被災者を中心にすえた政治がいよいよ求められます。
 20年前というと当時私は21歳、JR東海に在職中で尼崎杭瀬にある寮に入っていました。杭瀬寮は国鉄からJRに移行してから建設されたもので最新式の8階建ての豪華な寮でした。私の部屋は8階にありその部屋に入居するのも私が始めてといういわゆる新築部屋に入寮しました。杭瀬から西側には高層ビルなども少なく北西向きの私の部屋のベランダからは六甲山に沈む夕日まで綺麗によく見える部屋で、20年前の震災発生時は尼崎も揺れが激しく寝ていたベットが跳ね上がり頭上にあったエアコンを手で支えながら揺れに耐えていましたが、揺れている最中にベランダ窓から見える神戸方面は稲妻のような光がチカチカと光り、揺れの後はガスの臭いが街中を覆っていた事を記憶しています。
 私は当時、新大阪にある新幹線大阪保線所に勤めていました。震災時どのようにして職場まで出勤したのかは既に忘れてしまいましたが、随分と遅れて職場に到着した事を記憶しています。新幹線は当然停まっており、線路の保守点検が仕事である私は先輩らと線路内の巡回に出ましたが、レールは大きくねじ曲がり、宮原付近の高架が上下線のレールの間で真っ二つに裂け、バラスト(砕石)が裂けた高架の割れ目から下を通過する道路に大量に落下していました。もし、地震発生時間が営業時間内であれば大変な大惨事になっていた事を考えるとぞっとします・・。どのくらいで新幹線が動き出したのかも忘れてしまいましたが、普段は列車通過の摩擦で削れて光っているレールが列車が走らない事によって次第に錆ついていった事をよく記憶しています。
 つい先ほどHNK特集で阪神淡路大震災の特集で日本の活断層についての放映がされていましたが番組の締めくくりは現在の科学技術では「次の大地震はどこであるのか予測できるところまで手が届いていない」というものでした。原発の再稼動準備は九州電力川内原発で着々と進んでいます。火山密集地にある川内原発について安倍首相は「巨大噴火を数年前に予知して、予知した段階で原子炉を止め燃料棒を運び出す」と言っています。しかし、科学者からは「噴火を数年前に予知した例は世界でない」と言っています。また、川内原発で巨大地震が起きたときは20分でメルトダウンが起こり1時間半後には放射能が大気中に漏れると原子力規制委員会は指摘しています。日本共産党の志位委員長が「1時間半で住民を安全圏へ避難させる計画はできているのか?」という問いにもまともに答弁ができていません。巨大噴火は予知できるという新たな安全神話と避難計画もないまま原発の再稼動がされようとしています。世界有数の地震国・火山国であり活断層が無数にある日本で原発の安全性を科学的に証明する事など現在の科学技術ではありえない事だと、今日のNHK特集、阪神淡路大震災、そして東日本大震災からも改めて思います。

「産廃」姿勢いかに・・赤穂市長選

1月16日付神戸新聞が赤穂市長選に関し、「産廃」姿勢いかに・・と題して特集記事を報じました。赤穂市では市内3箇所で産廃処分場建設計画が進められており各地で住民による反対運動が展開されています。姫路市同様に、既に告知されている赤穂市長選挙でも大きな争点となっています。

1月16日付神戸新聞

産廃問題の根本的解決は 日本共産党姫路市議団ニュースより

上記グラフに環境省のデータがあります。平成2年から平成19年までのデータです。
平成2年時の産廃総排出量は約4万t、平成19年時の総排出量は約4万2千トンとなっており産廃総排出量はここ20年間それほど変わっていません。
しかし減量化やリサイクルに関する法整備が随分とこの20年間で前進し、循環型社会への取り組みが進んでいます。
平成2年には約4万tの産廃総排出量の内約9千トン(約22%)が減量化もリサイクルもされることなく最終処分場に埋め立てらていました。
しかし、平成19年には産廃総排出量4万2千トンの内、最終処分場への埋め立て量は約2千トン(約5%)にまで減少しています。
国民の環境意識の高まりや、産廃処分場建設反対運動などが国を動かし法整備を前進させてきた成果だと思います。
ゴミ問題に取り組むある弁護士は「産廃最終処分場は人体にも環境にもいいはずがない、全ての産廃処分場建設計画を止める運動を広げる。産廃の受け入れ先がなくなれば、国や排出元である大企業が本腰を上げて、排出量抑制やリサイクル、減量化などの技術革新も前進する」と言います。

例えばフロンガスがオゾン層を破壊している問題はご承知だと思われます。(一部では否定されている方もおられるようですが・・・)
私も以前、本で読んだのですが地球がオゾン層に囲まれるまでに約40億年の年月を要し、オゾンに囲まれることによって初めて海中から陸上に生物が進出したのが4億年前だといいます。
40億年の歳月を要して作り上げた陸上生物の生命維持装置であるオゾン層がわずか100年の大量生産社会のなかで破壊されています。この本を読んだ時は大変衝撃的でした。
 これまで通りフロンガスの排出が生産活動の上でなくてはならないものと考えるか、人類と地球が共存するためにフロンガスの製造禁止を社会全体の課題として取り組むかが問われています。今は作られなくなっているのかな・・・
原発の問題もしかりです。人類と原発が共存できない事を福島原発事故は改めて示しました。原発からの撤退を国が決断する事によって自然エネルギー分野の飛躍的技術革新が見込まれます。
産廃問題も、「最終処分場は必ず必要だから」という発想では、産廃問題の根本的解決は望めないと思います。
社会をよりよく前進させるのは、国民の運動だと私は確信しています。理不尽な道理のない国民運動は大きな運動には広がりません。
産廃問題の根本的解決は産廃の総排出量の抑制、リサイクルや減量化などのさらなる推進、製造段階からリサイクルできないものでの製造を禁止するなどの法整備が必要だと思うのです。
不法投棄の問題についても、生産者責任を法で整備し、産廃処理を産廃事業者に委託するのではなく産廃排出元事業者自らが最終処分場までの管理運営を義務づけるなどの法整備が必要です。
私は、発展的に社会は前進するものだと確信しています。社会の前進は国民の運動と要求の中にあると思っています。

森ゆき子市議と英賀保・荒川を街頭宣伝

今日もKさんからお葉書が届いた。いつも絵葉書にぎっしりと達筆な文字でお葉書を下さる。70歳後半位の女性。私とKさんとの関係は、私の支援者の方の友人という程度の関係で私はKさんとは玄関先で対話した事のある程度で詳しい人生の履歴も知らない・・。ただ、いつもメッセージ性のある洒落た絵葉書の文面には知識と教養、それに温かさがたっぷり込められています。Kさんからのお葉書はいつも楽しみ。今日届いた絵葉書は、「加藤文太郎生誕100年」の記念絵葉書で加藤文太郎の写真入り。以前に当ブログでも書きましたが、「孤高の登山家」加藤文太郎も歩いたといわれる私の氷ノ山山行についてのお葉書でした。「略・・私は机上に地図を広げ指先でヒマラヤでもアルプスでも登破しています。略・・政治家の心底の孤高を大切にお風邪を引かないように、やってみなはれやりなはれ」と、茶目っ気も込めて締めくくられていました。Kさんはいつも静かに応援して下さっています。Kさんの期待に応えられるよう政治家としても人間としても成長したい。

今日は早朝から夕方まで森ゆき子市議と街頭宣伝。英賀保、荒川校区を力いっぱい訴えて回りました。